カタン: 2008年7月アーカイブ
幼い頃、一冊の童話と巡り会った。ヨーロッパ生まれの童話で、保育園の本棚に置かれていた。ボクは何回も何十回も繰り返し読んだ。飽きることなく、ページを捲る度、胸が高鳴った。
その童話に特定の主人公はいない。一つの前提の元、世界中の様々な人が登場する。前提とは「人は生涯に少なくとも一度、必ず、強く願うことが叶っている」というものだ。家族で農場を営みながら暮らす女性は「夫に美味しくご飯を食べてもらいたい」そんな願いが毎日叶っている。学校帰りに強い陽射しを浴びた少年は「喉を潤したい」そう願い、汗をかきながらたどり着いた家で井戸水をたらふく飲む。とある老婆は「孫にありがとうを言ってもらいたい」パイを振る舞うことでその願いを実現する。どれもが身近で有り触れた願いかもしれない。でも、身近であろうが有り触れていようが、紛れもなく強い願いだ。童話の作者は、日々がどれだけ幸せに満ち溢れているかを伝えたかったのだろう。思い通りにならないことばかりがやたらと目につく人生、実は自分のすぐ傍で、多くが思い通りになっている。
でも、ボクがその童話の熱心な読者になったのは、傍ではなくて彼方を見つめたからだ。
ボクは「人は生涯に少なくとも一度、必ず、強く願うことが叶っている」この説を信じた。根拠なんてない。理屈じゃない。幼い頃に受けた影響は、筋の通った論理でかき消せない力を持つ。そんな非科学的なことはありえないと考えながらも、さらに信じるための理由を無意識に無理に作ったりする。
友達の一人は運動会の中止を願い、本当に雨が降った。
友達の一人は誕生日にラジコンが欲しいからその願いを何度も何度も父親に告げて、実現させた。
友達の一人は宝くじの当選を願い、三百円を手に入れた。
実例はいくらでも存在する。
童話に出てくる説が本当か嘘かを明らかにすることはできない。つまり、本当である可能性を、完全には否定できない。
ボクはなにかを強く願うことをなるべく避けるようにして過ごした。
だって、もしも生涯に一度だけのチャンスなら、くだらない願いのためには使いたくない。
欲しいものができたときも、順調にいかないことと遭遇して苛々したときも、衝動を殺すように努めた。
願いから目を逸らすことは、当時のボクにとって一種の癖になっていた。食事のときにいただきますを言うのと同じようなもので、重荷ではなくて面倒臭くもなくて、ただの習慣だ。
中学校に入りバスケットボールを始めたときも、願いをできるだけ遠ざけた。レギュラーになりたいのは願いじゃなくて目標だと自分に言い聞かせる。ドリブルがうまくなりたいのも、フリースローの成功率を上げたいのも、目標だ。周りより低い身長が伸びてほしいという気持ちも「父さんも母さんも背が高いから願わなくても伸びるさ」そう考えてごまかし続けた。
目標だけを見つめて真っ直ぐに努力した。その結果、ボクは実力をつけ、中学二年の終わり頃には県内でそれなりに名の通った存在になっていた。
自分よりずっと大きな選手の向こうにあるゴールへと華麗にジャンプシュートを決める。その度、身長を望んでいた自分を忘れ、優越感に浸る。
そんなある日、夕飯後にリビングでテレビを見ていた。
元ピアニストのイギリス女性のドキュメンタリーが放映されていた。
彼女は幼少期より様々なコンクールを総なめにし、天才ピアニストとして注目を集めていた。イギリス国内では歴史上の音楽家の誰よりも有名なほどだったらしい。しかし、十五歳の夏、交通事故に遭い、両腕の神経が切断され、すべての指が動かなくなってしまう。世間は天才少女を襲った悲劇に涙した。そして、本人は世間の落胆以上に苦しんだ。生きる価値を見失ってしまいそうになるぐらいに。ラジオからなんらかの音楽が流れてくる度、辛くて耳を塞いだ。いっそ耳を燃やしてしまおうとまで考えた。けれど、両親や友人たちの愛情の力を借り、立ち直っていく。ピアノが好きだという気持ちと向き合い、指導者として音楽界に帰ってきた。自分はもう弾けない。それでも、ピアノの素晴らしさを伝えたい。彼女はその後、名指導者として、何人もの一流ピアニストを輩出した。
その番組が伝えたかったのは、困難から逃げない大切さや、苦境の先にこそ光があるということだったのだろう。
ボクは、指導者としての彼女の輝きには気づけなかった。事故に遭った際の苦しみの描写だけが心に残った。
「もしもバスケットボールができなくなったなら、ボクはどうなるのか。彼女は指が動かなくなっても、ピアノが弾けなくなっても、立ち直ることができた。ボクは立ち直ることなんて絶対にできない」
ボクは、恐くなった。バスケットボールができなくなったなら、自分の価値が消える。そうとしか思えなかった。
手がなくなることよりも目が見えなくなることよりも、なによりも足がなくなることに怯えた。ジャンプ力がボクにとっての最大の武器だったからだろう。いつの日か世界の誰よりも高く跳べるようになるとすら思っていた。
「足を失ったボクは、大切なネジを失ったロボットのように、脆く崩れるだろう」
恐怖について人に話したことはない。表面にも多分、出ていなかったと思う。内面だけに留めておける程度の恐怖だった。ただ、常に心のどこかに引っかかり、ときに夜をひどく不安なものにした。朝、目覚めたとき、意思を持った足がどこかへ消えてしまっているかもしれない。
ボクはある日、強く願うようになった。消えても新しく生え変わる能力を足が得ることを。そう、トカゲの尻尾のように。足はもしも動けなくなったなら、自らを上半身から切り離し、次を誕生させる。そうなればボクは、いつまでも高く跳べる。
気持ちをごまかすことなく、願い続けた。
中学三年の春、学校から帰る途中の道、ボクはやっぱり願っていた。短パンから出ているこの両足がトカゲの尻尾のようになったなら最高に素晴らしいと。
車が通ることのほとんどない住宅街、ボクは注意力を欠いていた。足を失うことに怯えているくせに、無防備だった。
角を曲がるとき、ボクを眩いライトが覆った。その明かりの向こうに、ボクのすぐ正面に、車が来ていた。
次の瞬間、ボクは倒れていた。暗くなった夜の空を仰いでいた。
地面に打ちつけられたのか、右腕を痛みが貫く。
車が走り去っていく音が聞こえる。
手をついてゆっくりと上体を起こし、そして、目に映った物体に呼吸を奪われた。
そのとき、どんな感情に陥ったかは説明できない。激しく混乱していた。
胸がとてつもなく痛んだのは覚えている。身体的な痛みではなく、精神的な痛みだ。腕の痛みなんてどこかへ消えた。
目の前には、足が転がっていた。太もも、膝、ふくらはぎ、足首から靴まで、まるまる一本、横たわっていた。それは間違いなく、ボクの右足だった。何百回も何千回も愛しくマッサージしてきた自分の右足だ。
さらに胸が苦しくなった。
ボクは状況を把握することのできないまま、自分の下半身に視線を向けた。
左足も右足も、しっかり残っていた。透明で粘り気のある液体に覆われた右足が、ボクの身体にちゃんと繋がっている。
右足にそっと触れた。固まりかけのゼリーみたいな液体の感触と生温い肌の感触が指を伝う。つねってみる。ちゃんと痛い。
震えながらも、両足で立ち上がることができる。
車に撥ねられた、それは確かだ。転がっているのが自分の右足であることも確かだ。右足がボクの下半身に残っていることも確かだ。
願いが叶ったんだ。
ボクの足は、不死身になったんだ。
そこでやっと、感情は混乱から抜け出し、はっきりした形を取り戻した。嬉しいという感情が、ボクの内面を埋め尽くした。
転がった右足に手を伸ばした。拾おうとして触れた。右足は触れられると同時になくなった。蒸発とか風化とか、そんな感じだ。役目を失ったから消えたのだろうとボクは判断した。これからはこの生まれ変わった右足が、新たなボクの相棒だ。
ボクは一歩一歩を大切に踏みしめながら、家へと帰った。
部屋に戻り、ベッドに腰掛け、優しく右足を撫でた。そのとき、嬉しさに疑問が入り込んできた。
「生まれ変わったこの足は、ボクの身体と繋がっている。でも、本当に、ボクの足なのか」
非現実的な状況下に置かれていることに、やっと気づいた。
「こいつは、ボクが眠っている間にどっかに行っちゃうんじゃないか。ジャンプすると同時に、足から落ちるんじゃないか」
疑問はすぐに恐怖へと変わった。
ボクの右足を、もう、ボクの右足として思えなくなっていた。
そして、非現実的な状況に押し潰されたボクは、バスケットボールをやめた。
今にして考えれば、燃え尽きるまでやるべきだった。本来なら轢き逃げに遭った時点で失っていた選手生命なんだ。たとえ足がジャンプシュート中に地面に置き去りになってしまうとしても、実際にそうなるまでダメ元で挑戦すればよかったんだ。でも、当時のボクは弱くて、それができなかった。やめることを引き止めてくれる周囲を拒絶し、バッシュを処分した。
本当は、バスケットボールが、したかったんだ。
バスケットボールをやめて、人に注目されることも脚光を浴びることもなく、平凡に時を重ねてきた。最初はその平凡さや地味さが情けなくて、歯痒くて、頻繁に涙が出た。けれど、あれから十年が経った今、平凡で地味な毎日を否定する気持ちにはならない。家族がいて、友達がいて、仕事があって、日々に不満はない。
不満がなくても、やっぱり、後悔することはある。
仕事がうまくいかなくて苦しいとき、テレビ画面に偶然バスケットボールの試合が映り、嘔吐する。バスケットボールをしたいと思いながらも、その気持ちに嘘をついた時期を、激しく悔いる。
「あのとき全力を尽くしていれば、もっと楽に生きているのかな」
童話にしてもドキュメンタリーにしても、様々なことについて、ボクはいつでも、大事な部分を受け止め損なってきた。
もっと身近な幸せを願っていればよかった。
今後、身近な幸せを願い続けていれば、心の底から笑えるようになるのかな。
身近な幸せを願い続けていれば、燃え尽きることができるのかな。
二十一世紀が訪れたときのことは、今でもかなり記憶に残っている。
当時のボクは十九歳で、哲学科に通う大学一年生だった。ナルシシズムやサディズムやマゾヒズム、相対性原理、さらには東西線のダイヤや県庁所在地について、少しでも興味が湧いた事柄に対しては積極的に知識を深め、友人たちと議論を重ねた。そんな時間はとても充実していて、また、そんな自分は人と比べて優秀だと勘違いしていた。女性と夜通し遊んだり、スポーツサークルで友達を作ったり、ブランド品の買い漁り目的で海外旅行したりといった他人の過ごし方を見下していた。周りからすればけっこう痛い人間だったかもしれない。今になって振り返れば、申し訳ないぐらいに視野が狭かった。視野が広ければ得られたものがある。視野が広ければ失わなかったものもある。でも、視野が狭いからこそ得られたものがあることも確かだ。視野の狭いボクと一緒にいることを望む少数の友人たちがいた。掛け替えのない財産だ。彼らの存在を思うだけで、自分の幸せを疑わなくて済む。
二十一世紀が訪れたとき、ボクや友人たちはひどくがっかりした。目に映る景色、耳に入ってくる世間の話題、そのどれをとってもボクらが子どもの頃とさほど違いがない。SF小説や漫画の中で描かれた二十一世紀は、実際に二十一世紀を迎えたとき、遠い創作のままだった。車には依然として四つのタイヤがあり、世間を賑わす人型ロボットはいびつな動きを見せる。
自分たちの目の前にある世界は事実で、しかし、真実として受け止めることはなかなかできなかった。
本当の意味での知識や思考力があればそこまでがっかりすることはなかったのだろう。普通に考えれば、創作通りにならないことぐらい、子どもでもわかる。
いや、ボクらだって、創作上の二十一世紀が訪れると心の底から信じてはいなかった。二十一世紀という言葉の響きに酔っていたんだ。二十世紀から二十一世紀への境目をビッグイベントとしてとらえていた。
しばらく経ち、大学二年生になる直前には、ボクらの興味は次の世紀へと移っていた。
二十一世紀の始まりは平凡だった。ならば、二十二世紀の始まりはどうだろう。二十二世紀こそは夢のような世界が待っているんじゃないか。自然界における大抵の謎を科学が解き明かした未来だ。そこはきっと、創作の世界を超える驚きに埋め尽くされている。二千一年に暮らす人間の空想がなにもかも現実へと変わっている。
ボクらは百年後に訪れる二十二世紀について、教室で、飲み屋で、夜の公園で語り合った。
そんなある日、友人の一人が言った。
「オレたちって、二十二世紀は迎えられないんだよな」
ボクは激しく動揺した。
彼の発言に動揺する要素は微塵もないはずだ。二十二世紀が訪れるとき、ボクらは百十九歳になっている。そこまで生きられる者なんて、世界のどこにもいないかもしれない。
この心と身体が二十二世紀に到達する可能性は、限りなくゼロに近い。
「そんなことわからないだろう。医学だって進歩してるだろうしさ」
ボクは言った。
自分に言い聞かせるように口にした。
ボクらが想像する二十二世紀は希望に満ち溢れている。今のボクらの想像を鼻で笑い飛ばすような新しき常識だらけの世界のはずだ。でも、それでもなぜだか、人の命が有限であることは変わりないだろうと思っていた。
ボクらは必ず死ぬ。二十二世紀を迎えることなく、いなくなる。二十三世紀も二十四世紀もこの目で見ることはできない。そんな当然のことにボクは初めて気づいた。もちろんそれまでも人が死ぬということを知ってはいた。テレビを点ければ悲しいニュースばかりで、親戚の葬儀に参列したこともあるし、死生論について語っている本はいくらでも存在する。知っているだけだった。恥ずかしい話だが向かい合ったことはなかった。
同じ年齢で同じ立場の仲が良い友人の口から語られた死は、それまでの死についての情報とは違い、実感を突きつけてきた。
ボクらが楽しく議論している二十二世紀に自分がいない、その事実は、当時のボクには重すぎた。
ボクの経験するすべては、ボクの想像するすべては、ボクの死と同時に容易に消える。生物の中で人間だけが特別なんてことはありえない。
どれだけあがいても知ることのできない未来がある。
一度向かい合ってしまった以上、無視して生きてはいけない。ボクは不器用な人間だ。死についてひたすらに考えた。友人たちと話す時間を削り、なくし、死の受け入れ方を悩み続けた。悩んだ時間の分だけ答えに近づくわけではない。時間に比例して答えから遠ざかっていく。一人暮らしのアパートで、ただ死という単語に追い回されて過ごした。眠るとそのまま死んでしまいそうで、不眠に陥る。やがて学校にまったく行けなくなり、実家に連れ戻された。
「あんたバカじゃないの」
温厚な母親が泣いて叫んだ。
ボクも泣いた。自分がバカだということはわかる。どうすればバカじゃなくなれるのかがわからない。どうしてバカになったのかがわからない。
同じ集団のボク以外の者たちはしっかり大学に通い続けていた。ボクだけが落ちこぼれた。劣等感が天井知らずに積み重なっていく。
誰と話しても心が軽くなりはしない。「後世に多くを残すことが今を生きる者の義務」「いつか死ぬからこそ全力で生きないといけない」「自分が苦しんでいるとき、身近な人たちはそのことでもっと苦しんでいる」どんな正論もボクの心には届かなかった。
家から出られない。トイレに行くために部屋から出ることすら困難だ。
泣いていない時間より泣いている時間の方が長かった。
ある日、外の空気に触れれば少しは気持ちが楽になるかもしれないと、母親がボクの部屋の窓を開けた。真っ青な空から、静かな風が吹いてきた。しかし、ボクの気持ちは楽になりはしない。母親の優しさに応えられない状況が、また絶望を抱かせる。
二十二世紀どころか、二秒後には自分が消えていそうで、震えた。どうせ死ぬなら今死んでも同じと思いながら、やはり死は恐い。
辛い時期だった。
あれからもう、約百年が経ったんだ。
今日、二千百一年一月一日、二十二世紀が訪れた。本当にあっけなくやってきた。
到達できないと決めつけていた時代に、百十九歳のボクはいる。
ボクらが強く待ち望んだ二十二世紀だ。
百年前の想像と比べて、どうだろう。
国の数は分裂によって増え、合併によって減り、今では百六十九になった。パソコン、冷蔵庫、ポットといった電気製品の区分がなくなった。もはや電気製品という言葉そのものが死語だ。バスで海外に行けるようになり、でも、都道府県を越えるためにも手続きが求められる。地震が起きても家は揺れない。百年前に温暖化の原因とされていた大半がただのこじつけでしかないと判明した。日本では高校までが義務教育となり、大学が六年制を基本とするようになり、政治は二院制から三院制になった。子どもを産むのは自由でも、子どもを育てるためには免許が必要だ。日本史の授業の近代分野では有名な文学作家と同じぐらい、有名な漫画家が紹介される。安全が増え、けれど、危険が減ったかというとそうでもない。
国外も国内も、多くが変わった。でも、月への旅行は今でも一般庶民には手が届かないぐらいに高額で、本という紙媒体は残り愛され、傘を差しても服は濡れるし、大事なことは会って伝えるべきとされ、ひ孫たちに聞くと絵の具の金色はやっぱり特別なものみたいだ。
百年前の想像とはかなり違う。でも、がっかりなんてしていない。
ボク自身はどう変わっただろう。
老人になったなら自分をワシと呼ぶと思っていた。けれど、実際にはワシなんて言葉は使わない。人前ではわたしと呼び、頭の中では未だにボクを使っている。
身体の衰えはさすがにものすごい。もう歩くことすらできない。でも、二十代の頃の苦しみが嘘のように、穏やかに暮らしている。あれだけ情けなかった自分を棚に上げ、年下の者たちに偉そうなことを言ったりするときもある。そんなときは少し自己嫌悪が起こりながらも、これが老人の役目なのだとある程度は割り切れる。
あの頃は本当に苦しかった。普通の生活へと抜け出すまでに十年近くかかった。十年近くかかったけれど、抜け出せた。優しさの力だ。なにもかもを投げ出したボクを、母親や友人たちは投げ出さなかった。
当時のボクに教えてあげたい。苦しむ必要なんてないんだと、君は一人じゃないんだと、優しく伝えてあげたい。
伝えることはできない。二十二世紀を迎えた今も、タイムマシンはまだ完成していない。タイムマシンが不可能だということがはっきりしてしまった。
たとえ昔に戻れるとしても、ボクはボクになにも言わないだろう。
苦しんだからこそ、今のボクがいる。
苦しみから多くを学んだボクがいる。
妻とも結ばれた。
今のボクに昔のボクの気持ちはわからない。こうして振り返っている苦しみと実際の苦しみとの間には大きな隔たりがあるはずだ。伝えたい言葉を伝えたところで、他人の言葉にしかならない。
今のボクを昔のボクに見せてあげたいというこの気持ちは大切にとっておこう。昔のボクを思うことは、今の時代の若者たちを思うことだ。だからこうして、筆をとることにした。今の気持ちを残すことにした。他人の言葉にしかならないことはわかっている。
他人の言葉として拒んでいた周囲の優しさが、ボクを立ち直らせてくれた。
当時、二十二世紀を迎えることはできないと決めつけていた。でも、健康に恵まれ、愛に恵まれ、この歳まで生きることができた。
二十三世紀を迎えることはさすがに無理だろう。けれど、もしかしたら、できるかもしれない。未来のことなんて誰にもわからない。
未来を見つめるのが恐くなったなら、少し振り返ってみればいい。
振り返ることの重要さが、今のボクにはわかる。
2003年6月28日10時47分59秒
7時半ぐらいに目が覚めた。せっかくの土曜だからもっと眠りたいと思って、でも、二度寝できなかった。なんか眠れなかった。眠れないからなにかしようと思って、けど、起き上がることもできなかった。どっちつかず。ふとんの中でしばらくぼうっとしていた。今日見た夢のことを考えた。老人ホームの夢だ。老人ホーム内では老人たちに様々な特権が与えられている。建物の外では1000円の雑誌が100円で売られている。ずる賢い老人たちはそのことを利用してお金儲けしていた。
わたしは将来どんなおばあさんになるのだろうって想像した。おばあさんになるまで生きられる保障なんてどこにもないし、それに、なれたとしても寂しく過ごしているだろう。
あおむけのまま目の前で両手を握って、みっつ数えてから開いた。からっぽだった手を開くとき、そこになにかあることを期待した。あるわけない。あるわけがないと最初からわかっていて、それなのに期待もして、わたしはバカだ。
無謀な期待をするのは悲しいことなのか、それとも、夢があるってことなのか。よくわからない。昔のわたしになら、わかったのかな。
9時頃、やっと起きた。
1階のトイレに行って、部屋に戻って、またふとんに寝転がった。
世間のわたし以外の19歳女子大生は休みになにをしているんだろうって考えた。涙が出そうになった。少し出た。
外が雨だということに初めて気づいた。シャーペンの芯みたいに細い雨だ。出かけたくないって思った。どうせ出かけるつもりなんてないことに気づいた。明日の日曜は雨でもいいから学校に行く月曜は晴れてほしいと願う。
寝転がったままで雨をぼうっと眺めていた。雨がなくなれば人類は滅亡するんだなって考えた。スルメのように干からびる。人間はやっぱり自然には勝てない。機械にも勝てない。過去にも勝てない。人間が勝てるものってなんだろう。
生きているイカにスルメを見せたならどんな気持ちになるのだろうと考えた。また涙がこぼれた。
10時20分ぐらい、今日二度目のトイレに行きたくなった。部屋から出た。
トイレに行って戻るとき、若菜お姉ちゃんの部屋のドアが開いていた。通り過ぎればいいのに、中を覗いてしまった。わたしはやっぱりバカだ。
散らかった部屋の中、くすんだパジャマ姿で机に向かって写真を見つめていた。泣いていた。どうせ山吹さんの写真だろう。
本当に不幸な女性だ。
若菜お姉ちゃんは部屋にこもってばかりいる。若菜お姉ちゃんの姿を見たの、いつ以来だろう。3ヵ月振りぐらいかな。3ヵ月前も泣いていた。起きているときも寝ているときも24時間泣いているのかもしれない。
若菜お姉ちゃんを見ると、わたしを見ている気持ちにさせられる。
わたしは部屋に戻って日記を書き始めた。そして今だ。
こんな早い時間から日記を書いている人って、わたしの他にいないかもな。
若菜お姉ちゃんみたいには絶対になりたくないんだ。
幼稚園に通っていた頃、恐い映画を見た夜、お母さんの手を握って眠った。「このまま100年手を握っていればお母さんと一人の人間になれるかな」みたいなことを考えた。でも、次の日の朝、お母さんは先に起きて朝食の支度をしている。わたしの手はふとんを強く握っている。ずっと手をつないでいるなんて不可能なんだ。誰かと一人になんてなれない。誰だって一人で生まれて一人で死んでいく。ありがちな表現だけど、真実だ。今日いる人が明日もいるなんてルールは世界のどこにもない。
昔、山吹さんといるとき、若菜お姉ちゃんはとても幸せそうだった。わたしといるときよりずっと幸せそうで、少し、悔しかった。
山吹さんはかっこよくて優しくて、そんなすてきな彼氏がいる若菜お姉ちゃんが羨ましかった。嫉妬もした。
わたしは若菜お姉ちゃんにそっくりだって言われて育った。確かにわたしと若菜お姉ちゃんの同じ年齢のときの写真を比べると、かなり似ている。わたしは若菜お姉ちゃんより8歳下で、だから、8年後にわたしが25歳になったとき同じように最高の恋人ができるって信じていた。25歳まではけっこう遠いけど、待ってもいいって思えるぐらい、理想のカップルだった。
今のわたしと今の若菜お姉ちゃんを比べることはできない。
山吹さんは毎週末やってきた。若菜お姉ちゃんと出かけたり、そのままお茶を飲んでいったり。両親公認の二人で、将来は結婚するものだと思っていた。
わたしは嫉妬しながらも、早く結婚してもっと幸せになってほしいとも願っていた。そうすればかっこよくて優しい山吹さんがわたしのお兄ちゃんになる。それになにより、若菜お姉ちゃんの最高の笑顔が見たい。
ある日、山吹さんは家に来なくなった。どうしてか理由は知らない。若菜お姉ちゃんは捨てられたのかな。山吹さんが生きているのか死んでいるのかもわからない。理由を話してくれない。わたしも聞こうとしない。理由なんてどうでもいいんだ。若菜お姉ちゃんが不幸になった、その事実だけが重要だ。
わたしは若菜お姉ちゃんに似ている。若菜お姉ちゃんみたいにはなりたくない。
山吹さんがいなくなって、悲しみに打ちのめされ、ずっと内にこもるようになった。お父さんとお母さんが叱って外に出せばいい。あまりにかわいそうで誰もなにも言えない。若菜お姉ちゃんはもう2年間も家から出ていない。部屋にいたって悲しみはどこにも行かないのに。外の世界には出会いがあるかもしれない。家の中にいても誰とも出会えない。この先、死ぬまで外を拒むつもりなのかな。
若菜お姉ちゃんの頭の中は幸せだった頃の思い出だらけなんだろうな。
当時、山吹さんに対してのグチをわたしに話すこともあった。山吹さんだって完璧な人間じゃない。ちょっとマジメすぎてガンコだとか、時々よれよれのシャツを着るとか、不満そうにわたしに話していた。多分それは、のろけじゃなかった。でも、今の若菜お姉ちゃんは、山吹さんの嫌なところなんてもう全部忘れちゃったんだろう。過去は卑怯なぐらいに美化される。
あの頃の若菜お姉ちゃんの幸せそうな表情が今もわたしの頭の中にある。辛いぐらいに幸せな笑顔だ。これも美化されているのかな。
もしかすると若菜お姉ちゃんは幸せ者なのかもしれない。今は苦しんでいても、過去は幸せだった。すごく苦しんでいるのは、すごく幸せだった証拠だ。人生トータルで見れば、幸せ者なのかもしれない。けど、わたしは若菜お姉ちゃんみたいにはなりたくない。
だからこうして日記を書く。毎日何時間も日記を書く。休みはいつも日記を書いていない時間よりも書いている時間の方が長い。
過去を美化させたくない。
過去をそのままの姿で今に残したい。
若菜お姉ちゃんは美しい過去に縛られて、悲しい人になった。きっと、タンスを開けるときや天井に目を向けるとき、そこに山吹さんがいることを期待する。いるわけがないのに、希望にすがる。わたしはそんな人間になりたくない。
だから日記を書くのをやめちゃいけない。苦しくてもやめちゃダメだ。
将来、就職活動で履歴書を書くとき、趣味の欄は日記かな。こんな楽しくない趣味、ありかな。本来は趣味についてとかを書くのが日記で、それなのにわたしは日記を書くこと以外なにもしていなくて、日記を書くことを日記に書いて、日記を書くことが日記に書く内容で、なんだか合わせ鏡みたいだ。時々、なにをしているのか意味不明になる。
普通の女子大生は日記に恋のこととかを書くんだろうな。
常盤君、今頃、なにしているかな。恋人いるのかな。楽しいデート中ならどうしよう。どうしようもない。今わたしが日記を書いているなんて考えないだろう。わたしのことなんて考えないかな。しょせんただのクラスメイトだ。二人で出かけたことすらない。
日記の話を相談したなら、どんな反応を示すだろう。優しい言葉をかけてきてくれるだろうな。常盤君は優しい。勉強もできて、しっかりしている。
相談したい。
相談する必要なんてない。ただのクラスメイトだ。常盤君にとってのわたしも、わたしにとっての常盤君も。そう、クラスメイトでしかないんだ。気にする理由なんてない。背は高くないし、顔も普通だし、同じ服を週に2回着ていたりするし、たまにボロボロのスニーカーを履いてくるし、勉強はできても実習は苦手だったりするし、悪いところがたくさんある。優しいけど、完璧じゃない。そうだ、気にする理由はない。
山吹さんも優しかった。優しかったのに、いなくなった今も若菜お姉ちゃんを苦しめている。
優しかった山吹さんが憎い。
昼食にしようかな。
2003年6月28日14時57分9秒
昼食はヤキソバにした。味は普通。ソースが少なすぎたかもしれない。
なんだか時々、日記を書くために食事している気分になる。日記を書くために生きているような感じがする。考えすぎかな。
気持ちがうまく整理できない。
整理してから日記を書くべきなのか、整理するために日記を書くのか、過去を美化しない目的のためなら嘘を書いても許されるのか、わたしを許すのはわたし以外の誰なのか、未来のわたしが過去のわたしを許すのか、過去を美化してしまうような記憶力の乏しい生き物である人間に過去を許す権利なんてあるのか。
さっき、これまでの日記を読み返してみた。
日記に書かれているのが真実だと思えないわたしがいる。6年経てば真実だと思えるのかな。真実だと思えるからって、それが真実だというわけじゃない。真実だと思えさえすれば真実である必要なんてないのかな。
若菜お姉ちゃんは日記を読み返して、どんな気持ちになるんだろう。
昼食の後、また若菜お姉ちゃんの部屋のドアが開いていた。無人だった。浴室で誰かシャワーを浴びていたから、それが若菜お姉ちゃんだったんだろう。
シャワーで流すのは汚れなのか涙なのかって考えた。
部屋に入った。散らかっているから掃除してあげたくなったんだ。昔のきれい好きだった若菜お姉ちゃんは、今はもういない。
勝手に掃除したとして若菜お姉ちゃんがどんな態度を見せるかはわからない。わたしは今の若菜お姉ちゃんのことをなにも知らない。おはようを言ったならどんな顔をするのか、目を合わせたならどんな顔をするのか、想像ができない。昔はわかった。今のわたしたちは他人同士よりもずっと遠い。
掃除しようかどうか迷っていて、ふと机の上を見た。ノートが置かれていた。
ノートの表紙には「日記その5」って書かれていた。
見ちゃいけないって一瞬思った。次の瞬間には開いていた。読んだりしてごめんなさい。若菜お姉ちゃんの気持ちが知りたかったんだ。それは若菜お姉ちゃんのためかもしれない。わたしのためかもしれない。
山吹さんと交際していた頃の日記だった。山吹さんがいなくなる半年前の日付だ。
見慣れた角のない文字で山吹さんへの不満が色々と書かれていた。
若菜お姉ちゃんも過去を残していたんだ。それでも、今、苦しんでいる。
なんか、わたしの中にある様々な気持ちがこんがらがった。
若菜お姉ちゃんの日記を読まなければ、こんなことにはならなかった。それほど迷わず日記を書き続けられただろう。なんだか、内面の全部が空中分解した感じだ。
これまでも分解していたのかな。
わたしは日記を書くことで若菜お姉ちゃんみたいな苦しみを避けようとした。若菜お姉ちゃんは、日記を書いていたけど、苦しんでいる。
日記を書いたところで過去は美化されるってことなのかもしれない。若菜お姉ちゃんは決して過去を美化したりなんてしていないのかもしれない。そもそも山吹さんとは関係のない理由で外に出られなくなったのかもしれない。若菜お姉ちゃんは悲しんでいるなんて一言も口にしていない。お母さんが、山吹さんと会えなくなって悲しんでいるんだと思う、そんなことを言っていただけだ。
わたしのわからないこと、知りたいことの大半は多分、若菜お姉ちゃんが知っている。でも、日記を読み続ける気にはなれなかった。山吹さんがいなくなった理由までは読まなかった。それだけは勝手に知っちゃいけない。
知りたいなら若菜お姉ちゃんから直接聞けばいいんだ。どうしてそんな悲しい顔をしているのって、質問すればいい。今は無理だとしても、いつかきっと。
日記を読んで、若菜お姉ちゃんの気持ちに触れた。本当に久々に触れた。
会話、もうずっとしていない。このままじゃ若菜お姉ちゃん、言葉を失ってしまう。
おはようって言ったなら、おはようって答えてくれるかな。一度じゃ無理でも、何回も繰り返せば答えてくれるかな。
常盤君にもおはようってちゃんと言おう。間違いなく笑顔で、おはようを返してくれる。
過去を今にするため、わたしは日記を書き始めた。
もうずっと、未来を見ていない。未来を今に持ってくるにはどうすればいいだろう。
日記を書くの、やめようかな。