終わりと始まり ハイスクール!奇面組(新沢基栄)

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どんなものにだって終わりはあります。
二十四時が来たら魔法がとけて、ドレスが消えて、もうこの際ボロボロの服でも構わないから踊り続けようって決意して周りの高貴な方々の痛い視線を軽やかにシカトして、それでもやっぱり時間が来ればパーティーは終わってしまうわけです。
でも、できることなら、先に繋がる終わりであってほしいのです。
始まりとなる終わりであってほしいのです。

昔、わたしはとあるギャグ漫画が大好きでした。
それは新沢基栄さんが週刊少年ジャンプにて連載していた「3年奇面組」と「ハイスクール!奇面組」の奇面組シリーズです。
アニメ化もされた超有名作(平均視聴率20%近くだったらしいですね)で、しかもフラッシュ!奇面組も連載されていましたので。

変態的な登場人物たちが騒ぎを巻き起こす典型的な学園ギャグものです。
そんな本作が他のギャグ漫画に比べて高い評価を受けている理由は、やはり良い意味での「刺激のなさ」でしょうか。
ギャグ漫画というと毒だったり性的な要素だったりで笑いをとることがかなりありますが、この作品はそういう感じではありません。
平和に穏やかに、登場人物たちのほのぼのした個性で笑わせてくれます(絵柄のおかげで刺激的要素を刺激的と感じないというのもあるでしょうが)。

以下、大きくネタバレです(20年前に連載終了している作品でネタバレって単語は不適切かもしれないですが。というか、もう二十年なんですね)。

そんな奇面組、原作のラストシーンを覚えている方はかなり多いかと思います。
ヒロインである河川唯が目を覚ますとそこが中学校で、奇面組と出会う前だっていうラストです。
読解力乏しかった当時のわたし(今も乏しいけれど)は、それを夢オチだと決め付けて受け止めました。
そして、ものすごく悲しくなったんです。
「あの奇面組を代表とする楽しい名キャラクターたちが全員、夢の中の人物だったなんて」
かなりへこみました。

「元々漫画なんて非現実じゃないか」って突っ込まれそうですね。
でも、漫画を読むときは「非現実」が基準になります。ある意味、そこは現実です。
そんな漫画の中での「非現実」は、漫画を基準にしてもやっぱり非現実なんです。

「どんな楽しい出来事だって儚いものだ」というイメージを強くわたしに残したラストシーンでした。
もちろん、どんな出来事にだって終わりがあることは知っていますが、それでも、あまりに辛いラストでした。
あのラストシーンを読んだときの気持ちは、大人になる今まで、ずっと心の奥底に残っています。

あれから時は流れつい最近、人づてに新事実を知ったのです。
3年奇面組のオープニングシーンと同じあのラストシーンは、夢オチではなくて、ループだったのだそうです。
作者はそういうつもりで書いたらしいです。
実際に作者がどんな気持ちで書いたかは別としましても、あれが「始まりに戻る」と解釈できるという事実にたどり着いただけでわたし的にはかなり救われました。
あの楽しい日々が「幻だった」のではなくて「また始まる」ということです。この差はものすごく大きいです。

なんだかとても心がすっきりいたしました。

Wikipedia ハイスクール!奇面組
ハイスクール奇面組の新沢ファミリーが挑戦! なんだ!Cada<カーダ>の家づくり


  

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