学問のブログ記事

※上記ランキングと本文には関係性ございません。
かなり興味深く読ませていただきました。
【解説】IT史に輝く「すべったテクノロジー」ベスト25 : IT業界動向 - Computerworld.jp
要はITの歴史の中で失敗したと考えられるプロジェクトをまとめたランキングです。
もちろん、世界の全員が失敗と考えているわけではなく、一般的にということなのでしょうが。
わたしは特別コンピュータに詳しいわけではないです(というか詳しくない方の部類)。
コンピュータに対する愛情がわたしより強い人間なんてたくさんたくさんたくさんいらっしゃるでしょう。
それでも、コンピュータがわたしの生活の一部となっていることは確かな事実であり、そんな生活を営んでいる以上、こういったITの歴史に興味を持つのはまあ自然なことかなと。
歴史というのはどんな分野であれ大抵は人の興味を引きつけるものかと思っていますが、その中でも、身近なものほど心奪われるものでしょう。
「有能な人間は失敗から学ぶから有能なのである。成功から学ぶものなどたかが知れている」
ウィリアム・サローヤンさんの名言ですね。
以下、本記事冒頭画像(わたしによる超偏ったコンピュータの歴史20抜粋)のテキストバージョンです。
必要な人が世界に一人ぐらいいるかもしれないので(そしてその一人はこのblogを訪れないと思われる)。
後日、わたし自身がこのテキストを必要とするときが来るかもしれないですし。
ネットで調べた情報ばかりなので、詳細真偽の追及はご遠慮ください。
一つの目安ぐらいのご利用を。
- 1948 初のプログラム内蔵式コンピュータSSEMプログラム実行成功(フレディー・ウィリアムス/トム・キルバーン)
- 1952 初の商用プログラム内蔵式コンピュータIBM701発売(IBM社)
- 1956 初の高級言語FORTRAN誕生(ジョン・バッカス)
- 1961 マウス登場(ダグラス・エンゲルバート)
- 1969 ARPANET運用開始(アメリカ国防総省)
- 1969 B言語登場(ケン・トンプソン)
- 1971 the UNIX Programmer's Manual出版
- 1973 C言語登場(デニス・リッチー)
- 1974 TCP/IP仕様RFC 675発表(スタンフォード大学サーフネットワーク研究グループ)
- 1976 AppleI発売(アップルコンピュータ社)
- 1981 MS-DOS発売(マイクロソフト社)
- 1983 ファミリーコンピュータ発売(任天堂)
- 1984 Macintosh発売(アップルコンピュータ社)
- 1985 Windows1.0発売(マイクロソフト社)
- 1991 Linux開発開始(リーナス・トーバルズ)
- 1991 World Wide Webプロジェクト発表
- 1991 Unicode1.0登場
- 1992 Windows3.1発売(マイクロソフト社)
- 1995 NSFNet民間移管
- 1998 Google創業(Google社)
日本語は、主語→目的語→動詞、の順番で物事を伝えます。
「わたしはプリンが食べたい。」といった感じです。SOV型です(Subject、Object、Verb)。
英語は、主語→動詞→目的語、の順番で物事を伝えます。
「I get pokemon.」といった感じです。SVO型です(Subject、Verb、Object)。
この言語規則と思考にどのような関係があるのかという研究結果をネット上にて見つけました。
「英語式語順は、自然な思考の順番に反する」研究結果 | WIRED VISION
ある動作について言葉ではなくジェスチャーで表現させた際に、主語、目的語、動詞をどのような順序で伝えようとするかという実験の結果です。
結果はここには記述しませんが、かなり興味深い内容でした。
余談ですが、Wikipediaによると、他にも、VSO型、OSV型、OSV型、OVS型といった種類があるそうです。
昔、心理学というものをバカにしていた時期がありました。
どうしてかと言いますと、人間という生き物は先天的な要素においても後天的な要素においても千差万別であり、それを一くくりとして扱うことはありえないと考えていたからです。
しかし、歳を重ねるにつれてこの考えは変化してきました。
人間それぞれ価値観や考え方によって行動に違いがあるのは当たり前です。
ただ、行動を選ぶ際に無意識であればあるほど(反射に近づけば近づくほど)、振る舞いはかなり少数に大別できるのではないかと思うようになっていったのです。
また、意識的な行動であるにせよ、その根底にあるのはなかなかに拒絶しづらい本能的な要素であるように思います。
そう思うに至った理由は、実感、としか言いようがありません。
たくさんの人を見て、それぞれが確かな個性を持ちながらも、根底にある部分はあまり差異がないのかなと。
なんて徒然考えていると、ミルグラム実験というものを思い出します。
1961年にスタンレー・ミルグラム氏(以前六次の隔たりの記事でも名前出しましたね)により行われた「権威に対する服従」の実験です。
以下、その実験の手順です(ほぼWikipedia掲載情報の抜粋)。
/**************以下、実験の手順と結果***************/
手順1.
一般男性数十人を集める。集めた男性と同じ数だけの内部の人間(実験発案側)を用意する。
ただし、この際、一般男性側には内部の人間がいることは伝えていない(全員が一般参加だと思わせる)。
一般男性たちには学習効果についての実験という名目で集められたと説明している。
手順2.
一般男性と内部の人間を一人ずつのペアにする。
そして一般男性側を教師、内部の人間を生徒という役に就ける。
一般男性は自分が偶然教師側になったのだと思っている。
手順3.
教師と生徒を違う部屋に入れる。
部屋同士はマイクで会話可能であるが、相手の姿は見えない。
手順4.
教師は自分のペアである生徒に問題を出す。
生徒が答えを間違えた際に、教師は罰として生徒側に電流を流す。
最初15vの電圧であるが、間違えるごとに15vずつ上げていく。
教師側にはあらかじめ45vの電圧にて、罰がどの程度の衝撃なのか体験させてある。
つまり、自分が生徒に与えている罰がどの程度のものか想像しやすい。
生徒側は罰の苦しみで痛みを訴え続け、実験中止を望み、そして、無反応になる。しかしこれらの生徒の反応はすべて事前に録音されていたものである。
教師側はその反応が実際であると思いながら、罰を与えていく。
結果
実験中止を望んだ教師役には説得を試みる。
説得してもさらに中止を望んだ場合は中止とする。
40名の被験者のうち27名が最大値である450vまで電圧を上げた。
過半数以上が指示通りに生徒側に苦痛を与え続けたことになる。
さらに付け加えるならば、全員が300vまでは電圧を上げた。
/**************ここまで、実験の手順と結果***************/
似た実験としてよくスタンフォード監獄実験が挙げられますね。
一般の人を刑務所内の看守と受刑者の役に分けてどのように振る舞うかを実験したという話です。
こちらは有名な映画esの元にもなりましたので知っている方、多いでしょう。
es、見た後にはしばらく気持ちがどんよりなりますね。
ここまでどんよりする映画、わたしは他にはなかなか思いつかないです。
これらの実験が被験者に及ぼした悪影響というのはおそらく小さくないでしょう。
こういった実験に諸手を挙げて賛同するつもりはございません。
ただ、これらの実験から得られたデータが有益に活かされることは願っています。
立場が人を作るという言葉がありますが、良くも悪くもそれは確かかもしれないですね。
新しい知識得ることは大きな喜びです。
新しい知識を得たとき、わたしはこのblogに書くことが多いです。
それはその知識が役に立つ人が少しはいるかもしれないという思いがあるのと同時に、得た知識を忘れても思い出せるように。
人間の記憶なんて曖昧なものですので。
ツェラー(Zeller)の公式、初めて知ったときはかなり驚きだったことを覚えています。
かなり前に知った知識なのですが、こちらに書いていなかったので今回書くことにしました。
ツェラー(Zeller)の公式、どういったものなのかといいますと、年月日を元にしてその日の曜日を求める公式です。
日付も曜日も法則性に基づいているため、冷静に考えてみれば驚くようなことではないのかもしれないですが、曜日はカレンダーで調べるしかないと決めつけていたわたしにはけっこうな衝撃でした。カレンダーが作れる時点で数式で求められるということだなんて考えもしませんでした。
ちなみに、日付の法則性とは
・各月の日数は2月以外決まっている
・4で割り切れて100で割り切れない年、あるいは、400で割り切れる年は2月が29日までとなる
といったことです。
※グレゴリオ暦(現在使われている暦の考え方)を前提として話しています。
※ツェラーの公式はユリウス暦でも式を変えることによって使用可能なようです。
どういった式かと言いますと
西暦をy、月をm、日をdとしたとき
曜日=(y+y/4-y/100+y/400+(13×m+8)/5+d)mod7
ただし、小数点演算は小数点を切り捨てた整数にする
modは剰余(割り算をした際の余り)を示す
1月及び2月の場合は前年の13月及び14月と考える(たとえば2008年2月は2007年14月と考える)
求められた曜日は0を日曜、1を月曜……6を土曜とする。
という式です。
実際に2008年3月1日から土曜日が求められるか試してみましょう。
(y+y/4-y/100+y/400+(13×m+8)/5+d)mod7
=(2008+2008/4-2008/100+2008/400+(13×3+8)/5+1)mod7
=(2008+502-20+5+47/5+1)mod7
=(2008+502-20+5+9+1)mod7
=(2505)mod7
=6
6は土曜日なので、確かに正解が導かれています。
この式を使用するならカレンダーを見た方が早いと思うかもしれません(曜日を知りたい日付の載ったカレンダーが近くにあればですが)。
確かに、人間がこの式で計算したなら、かなりの時間がかかるでしょう。
ツェラーの公式はプログラム言語の学習でよく出てくるものです。
このぐらいの計算はコンピュータを使えばあっという間に行ってくれます。
実際のところはわかりませんが、ネット上にある様々なカレンダーはこの公式を使用して曜日を求めているのだと思います。
そう考えると、非常に身近な数式に感じられます。
123456789は3の倍数です。
それは
123456789÷3=41152263余り0
と計算してみればわかります。
でも、こんな計算しなくても3の倍数かどうかを確認する方法があることをつい先日ネット上にて知りました。
それは123456789の各桁を分解して
1+2+3+4+5+6+7+8+9
を計算してみること。
1+2+3+4+5+6+7+8+9=45
次に45の各桁を分解して
4+5=9
9は3の倍数だから123456789も3の倍数ということになります。
どうしてこの解き方が成り立つのか、理屈は以下の通りです。
今、5桁の整数「あいうえお(あ~おはそれぞれ一桁の整数)」があるとしましょう(理屈は桁数がいくつになっても同じです)。
この際
あいうえお=あ×10000+い×1000+う×100+え×10+お
と書くことができます。
この式は
(あ×9999+い×999+う×99+え×9)+あ+い+う+え+お
このとき、( )の中身は9の倍数であり3の倍数です。
なぜなら
(あ×9999+い×999+う×99+え×9)=9×(あ×1111+い×111+う×11+え×1)
9×(あ×1111+い×111+う×11+え×1)=3×3×(あ×1111+い×111+う×11+え×1)
だからです。
ということは、残りの
あ+い+う+え+お
が3の倍数であれば全体が3の倍数だということになります。
さらに言うと
あ+い+う+え+お
が9の倍数であれば全体が9の倍数です。
わたしはこの知識を知ったとき、かなり感動しました。
この感動を独り占めしてはもったいないと何人かに話してみました。
その中の多くの人に「そんなの知っているよ」という感じの反応をされました。
自分の中で当たり前じゃないことが他人の中ではけっこう当たり前なんですよね。
もっともっと勉強しなくては。
2008年といえば、今年です(いまだに書類に2007年と書きそうになります)。
2008年といえば、うるう年です(うるう年は必ずしも4年に一度ではないって知っていましたか)。
そしてなんと、2008年といえば、ドラえもんの世界でタイムマシンが発明された年であるそうですよ。
情報元がWikipediaなので、絶対とは言い切れないですが。
実際にタイムマシンが完成されるかどうかと問われると、正直、ありえないかなと思っています(現在の年齢をほぼ保ったまま未来へ行くという片道だけならともかく、過去へ戻ることも含めた両方向性を持ったものはという意味で)。
だって、まだ、98式AVイングラムですら現代には現れていないのですから。
我が家の机の引き出しを開けてみたところでそこはどこにも繋がっていません。
というか、我が家には引き出し付きの机がありません。
でも、タイムマシン、絶対にありえないとは言えないのでしょうかね。
というかすでに完成している可能性だって否定できないです。
もしもそれが国家レベルでの開発であればわたしたちが耳にすることはない情報です。
完成していれば絶対に公にはしないでしょう。
タイムマシンを語るときによく持ち出される「タイムマシンの開発不可能理由」として「過去に戻ることができるのであれば歴史が変わる。タイムマシンの出発地点である現在(過去から見た未来)がなくなるという矛盾が生じる」があります。
だからわたしもタイムマシンなんて無理だろうと普段から決めつけています。
けれど、この機会に、同じくWikipediaでタイムマシンの項を見てみると、タイムマシンの可否について学術的な議論がかなりなされているのだと驚きました。
もし興味がありましたら読んでみてください。
しっかりと考えてみると、タイムマシンが絶対に無理とは論理的に説明できない自分に気づきます。
さあ、今年も早くも残り約351日、タイムマシンは完成するでしょうかね。
Wikipedia タイムマシン(ドラえもんの道具)
Wikipedia タイムマシン
Wikipedia 機動警察パトレイバー
Wikipedia 閏年
私は日本生まれ日本育ちの日本人です。
けれど、日本語が喋れますと自信を持っていえなかったりします(他の言語が喋れるわけではありません)。
日本語って、本当に難しいですよね。
日本語だけではなく、その難易度は言語全体の共通事項なのでしょうが。
常々、綺麗な日本語を喋りたいなと思っています。
言語と言うのは変化し続けるものであるため、なにが綺麗でなにが綺麗じゃないかということを明確に説明できるものではありません。
たとえば、現在「丁寧」とされる日本語だって、百年前の「丁寧」とは大きく違うでしょうから。
言葉とはコミュニケーションツールである以上、ギャル語に代表されるようなローカルな日本語が綺麗じゃないと一概には言えないですよね。
でも、そうは思いながらも、綺麗とされる日本語を喋りたいという思いを失うわけではありません。
もっと正確に言うならば、実力派アナウンサーの方々が使いこなすレベルの日本語が喋りたいです。
最近、言葉についてかなり衝撃的な話題を目にしました。
それは、言語学者である金田一春彦さん(辞書の編者とし名前を見たことは絶対にあるでしょう)の「日本語を反省してみませんか」という本の中の話です。
「目上の人に塩を取ってもらうときの最も丁寧な言い方はなにか」皆様はこんな質問をされたならどんな答えを思いつくでしょうか。
「塩をとっていただけますでしょうか」これは不正解です。
だって、これは、目上の方に指示をしていることになりますものね。
正解は「すみません、それはお塩でしょうか」だそうです。
この言い方であれば、指示をしていません。
しっかりとした日本語を操る方にとっては特に驚くに値しないことかもしれませんが、わたしはこの正解を目にしたときにかなり衝撃的でした。
とってもらうときに、とってくださいということを言わない。それでいて気持ちを伝える。
綺麗な日本語の道はまだまだ険しいです。
Amazon.co.jp: 日本語を反省してみませんか (角川oneテーマ21 (B-17)): 本: 金田一 春彦
Wikipedia 金田一春彦

中学時代、高校時代、社会科の勉強で歴史年号をたくさん暗記しました。
その多くは今は忘れてしまったけれど、時に今年が何年なのかすらおぼろげになる状態だけれど、いくつかは残っています。
そして、そんな記憶に残っているものの大半って、語呂合わせで覚えたものなんですよね。
たとえば、鳴くよ(794)ウグイス平安京(実際に平安京ができた季節はウグイスが鳴かない季節だと聞いたことがあるけれど)、
なんと(710)綺麗な平城京、
意欲に(1492)燃えるコロンブス、
これからきっと今後ずっと忘れないかなと思っています。
そんな年号について、最近知った衝撃の事実があります。
「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」でお馴染み、鎌倉幕府の成立についての年号ですが、最近の教科書を見ると1185年と書かれているものが多いという話なんです。
たとえ1192年と記されているとしても、『「名実共に」1192年に成立』といったように一文「名実共に」が付け足されているとか。
現在、専門家の間では1185年成立説の方が有力なんですって。
覚えた知識が間違っていたときって、けっこうショックです(歴史の話なので、間違っていると断定はできないかもしれないけれど、一般論として)。
まあ、間違えたまま生き続けるよりはよかったですかね。
知らないまま過ごしていたら、いつか「鎌倉幕府は1185年」と教えられてきた世代に「多口さん、こんな常識も知らないんですか~」ってバカにされたかもしれないわけですから。
1185年じゃ、いい国が作れなさそうだな~。
(ガッツ石松さんが「よい国作ろう鎌倉幕府」と覚えて4192年と間違えたという伝説は本当でしょうか?)
ネット上某所にて「知ってる曲が30曲以下ならアニオタ公言禁止」というものがあったのでやってみました(リンクはしませんが)。
63曲のサビ部分が次々と流れて、その中で知っているものが30以下ならアニヲタじゃないっていうテストです。おそらく作成者の主観に基づくものであって、根拠はないです。でも、曲数がそれなりにあるので、一種の判断基準ぐらいにはなるかも。
あっ、アニヲタって、アニメオタク(アニメヲタク)の略です。説明する必要ないでしょうが。
わたしは別にアニオタだと公言していませんし、といいますか、実際、謙遜でも逃避でもなんでもなくアニオタじゃないです。
「マンガ」と「アニメソング」は確かに人並みよりほんのちょっと好きですけれど。
で、やってみた結果なのですが、「多分5曲ぐらいかな」と思っていたら35曲知っていました。
おかしいですね。
数え間違いかな。
数え間違いでしょう。
というか、坂本真綾や林原めぐみは堀江由衣は一般人でも知っているでしょう(えっ、知らない?)
まあ、わたしがオタクかそうじゃないかはどうでもよいとして、オタクの定義ってなんなんでしょうね。
辞書によると、ある物事に対して過度に熱中する人をオタクと呼ぶそうです。う~ん、わかりづらい。
Wikipediaでも調べてみたのですが、明確な定義はやはりない模様です。
というか、今じゃ「オタク」は死語化しておりで「~ヲタ」と呼ぶようになってきているそうですね。
そもそも、マニアとオタクってなにが違うのでしょう。
オタクの方がイメージが悪いのかな……(マニアだってよくはないかもしれないけれど)。
野球や釣りといった一般的に受け入れられやすい分野を好きな人がマニアで、アニメやゲームといった一般的に受け入れられやすい分野を好きな人がオタク……とも一概に言えないよな。
好きな対象物の狭さで判断してみてはいかがでしょう。
たとえば「特定のアイドル」を好きなのはそのアイドルのマニア(もしくはファン)、「アイドル業界(市場)全般」を好きなのはアイドルオタク。
それでいくと確かに「広く浅く」をモットーとしているわたしはマニアよりはオタク方面なのかもしれない(浅いとオタクではないでしょうけれど)。
と、色々考えてみたものの、答えは出ません。
けれど、わたし、明確な基準はないのに、普段、オタクかどうかを様々な場面において判断しているんですよね。
イメージによる判断なんでしょうね。
そのイメージが人によっては「偏見」という名になるのかもしれない。
わたし自身はオタクというものになんの悪い印象もないですし、自分がオタクだと言われても気にもならないです(言われ慣れました)。
でも、オタクに対するイメージの悪さというものを感じる機会は多々あって、そんなときはやっぱりよい気分じゃなかったりします。
だって、好きなものを好きって言ってなにが悪いのさ!
人間関係の大部分はイメージによって支配されているというものだとしても、それが人間という生き物の根本だとしても、イメージだけで蔑視するのは自分にとっても周りにとっても決してプラスにならないはずです。
余談ですが、ネット上某所にて「アニメ&ゲーム525曲サビメドレー(400曲以上知ってたら人生やり直し)」というものもやってみました。一時間もかかったよ。
こちらは234/525でございました(多少耳に残っている程度を入れればもっと行くでしょうが)。
最近のものは本当にほとんどわからない。
400以上行く人はすごいな~と素直に感動。
*- Victor artist web site 坂本真綾 【I.D.】-*
MEGUMI HOUSE
StarChild:堀江由衣
いわゆる「天才」と呼ばれている人たちについて本やネットで調べたりするのが大好きです。
そこでは常識を遥かに超えた価値観だったり才能だったりが輝いています。
スポーツの分野での「天才」より学術的分野や芸術的分野での「天才」に惹きつけられます。
それはどうしてでしょうかね。
わたしの単純な趣味嗜好によるものでしょうか。
「ずば抜けた才能」が素晴らしい方向に活かされるかどうかは別として、そのエピソードの数々に心奪われます。
そんな「天才めぐり」の日々の中で、よく目にする単語の一つとしてサヴァン症候群があります。
発育や自閉についての障害(必ずしもこれらの障害とは限らないそうですが)を持ちながらも、ある特定の分野において常識離れした能力を発揮する人たちを指す言葉です。
たとえば、有名な事例としては以下のようなものがあります(真偽の確認はしていません)。
・数千冊の本の内容をすべて暗記している
・年と日付を元に即座に曜日を答えられる。それがたとえ千年以上先の日付であっても。
・初めて聴いた曲を完全に間違えず再演奏することができる。しかも目が見えないしピアノのレッスンを受けたこともないのに。
・ものが右にあるか左にあるかの説明はできないのに複数桁の掛け算を即座に解く。
これらの能力の良し悪しについて語るつもりはありません。
ただ、こういう特殊な能力を持っている方々の思考には非常に強い興味があります。
思考ではなく価値観と置き換えてもよいかもしれない。
卓越した計算能力を持つ者には世の中の数字がどのように見えるのか。
デジカメ並の記憶力を持つ者にとって思い出とはどんなものなのか。
とあるマンガで『お互い理解しあえるのはほとんど「点」なんだよ』という印象深い台詞がありました。
身近な人と自分を比べてみても、共通する部分なんて点でしかないのかもしれない。
もしもすべての能力が同じ同士でも、視力が0.1違うだけで目に映る景色も価値観も大きく異なるのでしょう。
線として分かり合える相手なんていないのかもしれない。
人間って恐いぐらいに不思議で面白いです。